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Sayaca 

María de BsAs ブエノスアイレスのマリア公演を終えて


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7/15, 18 と2日間行われた、「ブエノスアイレスのマリア」公演が無事終了しました。 お越し頂いた皆様方、私達を陰で支えて下さったスタッフの方々、共演者のみなさん、そして亮太さん、本当にどうもありがとうございました! 

震災のきっかけから始まり、全員にとって格別の思いがあるこの作品。公演を終えた今、改めて、なんと素晴らしい、なんと味わい深い中毒性のある作品なのだろう、と思いました。少々飽きっぽい性格の私ですが、この作品は飽きるどころか、その反対で、もっともっと演奏したい、と思わせるものがあり、まるで作品自体にピアソラ、フェレール(まだご存命ですが)の魂が生き続けているかのように、毎回、演奏する私達に、より深い解釈、よりレベルの高い演奏、そしてより深く自分自身を見つめることを求めてくるように感じます。

3.11後、まだ余震の続く中、亮太さんからお電話があり、「マリア役をお願いしたい、1時間後に返事がほしい」と言われてから早約3年。今だからお話しできることなのですが、実は、この頃、私は唄を辞めようと考えていました。ブエノスアイレスで起きたある事件がきっかけで、日本に戻ってきたのが2008年。それ以来、日本の生活に適応すること、普通の生活を送ることだけで精一杯で、実際、唄うどころではなかったのです。そんな中、突然の震災と亮太さんからの電話。 一方、震災直後の(当時やっていた)フェイスブックは、海外の友人達からの「日本を一刻も早く脱出して私の国に逃げて!」 とのコメントで溢れかえり、自分が日本にいるべきかどうかも、そして亮太さんからのお話しにどのように答えてよいかもわからず、途方に暮れてしまいました。

苦しみ悩み、考え抜いた結果、キーの確認をし、奇跡的に全曲問題ないことが判明した時点で、もし死ぬのなら、何もせずにおびえながら家の中にいるよりも、自分が必要とされているプロジェクトに飛び込み、ベストを尽くしたほうが本望だ、との思いで、全てを覚悟した上で、亮太さんに承諾のお返事をしたのが、私がこの作品及び公演とかかわるようになった全ての始まりであり、そして私が再び唄っていくことを決心した瞬間でした。

公演までわずか数日という段階での参加という異例な事態でしたが、とにかくマリアのCDを聴ける限り聴いて各曲を耳に叩き込み、翌日リハーサルルームに行くと、音響の方々も含め全メンバーが揃っていたことに、心底驚きました。何が起こるかわからない中で、全員が「音楽」という自分たちが本当に大切にしているもののために集まっている、という事実に激しく心を揺すぶられ、同時に、それぞれの人間、音楽家としての器の広さ、そして音楽そのものへの溢れる深い愛を感じ、私自身も、相当な覚悟と大きな愛でこの作品に臨まなければ、と固く心に誓ったことを今でも昨日のことのように覚えています。

昨年の、私の敬愛する二人の師匠、Amelita とGuillermo、そして余震が続く中でのリハーサルで惜しみなく自分の数々のマリア公演の経験に基づくアドヴァイスをくれた戦友 Leoと共に大成功をおさめた、亮太さんのマリアコンサートから約一年後の、今回の日本人キャスト版マリア公演。素晴らしい経験をさせて頂いたことに心から感謝しつつ、次回があることを切に願いながら、その日までに更に成長していられるよう、これからもこの大好きな作品に取り組んでいきたいと思っています。

S

やっと写真の載せ方がわかりました... -_- 記念すべき第一枚目はマリアの女子メンバー!(左から ビオラ吉田有紀子さん、私、バイオリン近藤久美子さん、ピアノ黒田亜樹さん、パーカッション真崎佳代子さん)

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もう一枚!(ギター鬼怒無月さんと私。楽屋で「マリアのテーマ」冒頭部分を練習中)

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