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Sayaca 

Looking back the year 2014 2014年を振り返って

早いもので、今年も残り一日となりました。同じ時間でも楽しい時はあっという間に、そして何かを待つ時にはとても長く感じられるのは、本当に不思議なものです。そんなことをしみじみと感じている年の瀬に悲報が入ってきました。アルゼンチンタンゴ界を代表するバンドネオン奏者の巨匠レオポルド・フェデリコ氏が亡くなり、そして数日前には、私も縁のある「ブエノスアイレスのマリア」作品等アストル・ピアソラとの共作も多い、ウルグアイ出身の詩人オラシオ・フェレール氏が亡くなりました。

人は皆誰でも平等に死を迎えるものですが、この二人の死、特にフェデリコ氏の死は、ブエノスアイレスにおける(確か2003,4年)コロン劇場での彼のコンサートが私の今までの人生におけるベスト3に入る程の素晴らしいものだったことや、その他にも彼の音楽に関連するブエノスアイレス在住中の様々な思い出が蘇り、バンドネオン奏者でもない私にとっても、かなりショックなニュースとして届きました。また自分がタンゴという音楽に関わっている事実、そして改めて何故唄い続けているのかを自らに問う大きなきっかけともなりました。

何故タンゴを唄うことになったのかといういきさつについては、今年、'Nochero soy' というタンゴクラブの主宰者、宮本政樹さんが編集を手がけられていらっしゃるタンゴ機関誌にも、「タンゴと私」というタイトルで記事を書かせて頂きましたが、特に最近日本に住んでいて思うのが、皆が全員同じことを同じようにしなくても、個人の得意な部分を活かした個性的な生き方ができる世の中になれば、もっと生きやすく、そしてより個人の幸せを感じられるようになるのではということ。たった一度きりの人生、様々な生き方があってもいいと思います。

私がメキシコから帰国後に通った、和歌山県新宮市出身の祖母の親戚である、西村伊作氏→ http://ja.wikipedia.org/wiki/西村伊作 が創立した文化学院 → http://ja.wikipedia.org/wiki/文化学院 という日本初の男女共学校では、生徒それぞれの個性を伸ばす芸術的な教育を。その後に通った上智大学の比較文化学部では、様々な国から帰国した帰国子女や海外留学生と共にインターナショナルな環境での教育を受け、そしてその後は、幼い頃から聴いて育ったタンゴという音楽をより深く学ぶために渡ったブエノスアイレスでの六年間に渡る生活が、幼児期の中北米での在住経験も含め、今の自分というものを大きく形成しているのだと思いますし、日本の一般的な生き方からは、かなり外れた形にはなりますが、現在、改めてこのユニークな生き方をしてきてよかったと思いますし、これから先も自分なりの生き方をして行こうと決意を新たにしている今日この頃です。

これから、この不安定な世の中がどうなっていくかは誰にもわかりませんが、日本に住んでいる時間が長い最近、この国におけるリスク回避型の考え方が、グローバルな視点でみた場合に、今の世界の流れに合っていない、または既に時代遅れになってしまっているのではないか、と少し心配になってしまいます。自分にとって何が幸せをもたらしてくれるのかを一番良くわかっているのは他ならぬ自分ですし、己を知るためにも自分をさらに深く掘り下げ、リスク回避ではなく、その反対にリスクを追ってでもその都度直面する問題を解決できる智恵と賢さを身につけ、そして人生の最後に、自分は悔いのない人生を送ったと言い切れるような生き方ができればと強く思います。

フェデリコもフェレールも、偉大な芸術家でした。彼らが残してくれた素晴らしい音楽と詩に対して改めて心から敬意を表すると共に、彼らの作品をより深く理解し、それらを糧に少しでも自分なりの前進ができるよう、来年も精進していきたいと思っています。

2015年が皆様にとって素敵な一年となりますように…

S

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