
Slaves of technology ? テクノロジーの奴隷 ?
つい昨日も、長文を書かなくなっている原因として、現代のインターネット上でのコミュニケーションスタイルに原因があるのではないか、ということに少し触れ、自分の目指す「ミニマリズム」的な生き方としても、インターネットを使用する時間を制限し、人といる時には携帯をオフにする等、自分なりに人間らしく生きるスタイルを模索中の私が最近感じている感覚に近い、海外の動画(日本語字幕付き)があったので、忘れてしまう前に今日ご紹介します↓ http://tabi-labo.com/20068/snsfriend/ (in English with Japanese subtitles) もちろんテクノロジー全てに反対ではありませんが、決してその奴隷になるのではなく、あくまでも主導権は我々が握りながら賢く使いこなすためにも、そして適度な距離を上手に保つためにも、この動画のメッセージのように、一度、テクノロジーから意識的に少し距離を置いてみる事が必要なのではないかと思うのです。 私達には、five senses 五感という素晴らしいギフトが与えられているのに、それを使わずに

Writing 「書く」 ということ
インターネットの普及により、色々なことが便利になり、色々なことが短縮化、簡易化され、それはそれで素晴らしい点も沢山あり、もちろん私自身もその恩恵にあずかっていますが、一方で、自分の考えを長い文章で書く、または相手に伝える、という機会が、最近、格段に減っているような気がします。 「了解」「ありがとう」「遅れます」「大好き」など、テキストメッセージやイラストで送る便利さ、楽しさは、私も親しい友人達、家族間で経験していますが、自分の考えを、自分の選んだ言葉でまとめて文章化する(=思考の明確化)という機会が、特に最近極端に減っていることに、ちょっぴり懸念を抱いてしまうのです。 以前は、長文での意見交換(例えばライヴやお芝居の感想等)を、周りの人とすること等が、もっと盛んに行われていたように思うのですが、今は近くにいる人と感想を共有するよりも、まずはその場の写真を撮り、それをいかに早くアップデートするか、ということにこだわる人が増えていると思いますし、何かの感想でも、「すごい」「かわいい」「おいしい」と言った短い形容詞、または、その場所にいる、何かを食べて

Globalization グローバリゼーション
ウィキペディアには、「グローバリゼーションとは、社会的あるいは経済的な関連が、旧来の国家や地域などの境界を越えて、地球規模に拡大して様々な変化を引き起こす現象である。グローバル化ともいう。」とあります。 ウィキペディアのその後の説明にも、「インターナショナリゼーション」と「グローバリゼーション」は、国境の存在の有無という点で区別され、世界地図を見て国境を意識しながら国家間の問題を考えれば「インターナショナル」な問題を考えている事になり、地球儀を見ながら地球全体の問題を考えれば「グローバル」な問題を考えている事になる、とありますが、私も帰国直後の幼児期、日本の世界地図を見た時に、Far East(遠い東)に存在すると思っていた日本が、地図の真ん中にあった衝撃を今でも覚えています(世界地図は、その国が真ん中に印刷されるため国によって異なるので)。 私は、大学卒業直後から、企業向けの英語や異文化研修を担当するお仕事を頂き始め、ブエノスアイレスから帰国後も、不思議なご縁やタイミングもあって、現在のコンサルティング会社で、新たな形で続けています。 特にここ

Cinco Gatitos 5匹の仔猫たち
スペイン語で、cinco = 数字の5 gatitos = 仔猫たち を意味します。 *通常、猫=gato ですが、語尾に tito/titaをつけると、英語のdiminutive=指小語、例えば、dog (犬)をdoggie(ワンちゃん) と、小さくかわいく呼ぶような意味になります。 ということで、今日は5匹の仔猫ちゃんたちにまつわる小話を。 昨年の9月早朝、近くの公園で犬を連れて散歩している時に、汚れた青いバケツにまとめて 捨てられていた5匹の仔猫たちを発見。ミーミー鳴く声と、こちらを見つめる小さなつぶらな瞳。どうみても、まだ生後2週間ほどの仔猫ちゃんたち。このままだと、からすに食べられてしまうかもしれない。。。と、突発的かつ本能的に私の中の母性愛炸裂。どうしてもそのまま置いて立ち去ることができず、思い切って全5匹まとめて実家に保護し、一匹ずつ、汚れている小さな身体をシャワーで洗い、ドライヤーで乾かしてあげると。。。それはそれは、みなそれぞれに、言葉にならないほどカワイイのです。 普段はちょっぴり頼りない我が家の犬(♂)も、私の突発的母性愛炸