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Sayaca 

​Cada vez que me recuerdes

2006年  epsa music

Sayaca
with
Diego Schissi ​&
​Carlos Corrales Trio

​私を想い出してくれる度に

2017年  mizuiro records

2006年 ブエノスアイレスで収録されたファーストアルバム「Cada vez que me recuerdes 」再リリース日本版 

Sayaca​ (ボーカル)
ディエゴ・スキッシ (ピアノ、アレンジ)
   カルロス・コラーレス (バンドネオン、アレンジ)
ヘルマン・マルティネス(ピアノ)
​イグナシオ・バルチャウスキー(コントラバス、プロデュース)
01 Cada Vez Que Me Recuerdes Sayaca
00:00 / 04:20
世界的バンドネオン奏者の小松亮太氏主催 「ブエノスアイレスのマリア」マリア役、
そしてトリオ・セレステとのアルバムでもタンゴ・シーンで話題の歌手 Sayaca のルーツがここに。 2006年、イグナシオ・バルチャウスキーをプロデューサーに迎え、ポスト・ピアソラの呼び声も高い 
ディエゴ・スキッシ (スキーシー) ら、今まさに旬のミュージシャン達と現地録音、発表。
日本人でありながら、ブエノスアイレスの現在(いま)を体現できる歌手として現地各メディアでも驚きを持って迎えられた Sayaca 初のソロアルバムが、2017年、ディエゴ・スキッシ (スキーシー) の
初来日を機に、日本版として完全復刻。今こそこのアルバムの真価が受け入れられる時!       ブエノスアイレス録音、全11曲。                          

​                                  アオラ・コーポレーション

 

 “Sayaca は日本が生んだ藤澤蘭子以来最高の、そして極めて個性的な歌い手である”。この刺激的なコメントは、タンゴの今を担う若い世代の楽団エル・アランケの一員で、本作のプロデューサー&コントラバス奏者としてアルバムにも参加しているイグナシオ・バルチャウスキーがSayacaについて述べたものである。彼は言葉を続けて、”Sayacaは50年以上もタンゴをひたむきに愛し研究してきた日本ならではの伝統を継承しながら、革新性をあわせ持つ歌手である” といったことを述べている。プロデューサーだから

悪いことを言うわけはない。でも彼のコメントはヨイショなどではなく、核心をついており、僕も彼の意見に異論はない。

だがこのアルバムを初めて聴いたとき、正直言って僕は落ち着かない気分になった。耳なじんできた40年代の名歌が多いのになぜかよそよそしさを感じて僕はなかなかなじめなかった。誤解のないように結論を書いてしまうと、聴きこむにつれてそんな拒否反応もなくなり、僕は彼女の唄に感銘を受け、アルバム・コンセプトにも共感を覚えるようになった。

 

それにしても聴き始めた当初僕が感じたよそよそしさはなにゆえだったのか。アレンジのせいか。それとも歌唱のせいか。とは言えこのアルバムのアレンジは新鮮ではあっても斬新すぎるわけでなく、無論奇をてらったものではない。歌唱にしても、知的で よくコントロールされており、ネイティヴと較べても 遜色のないスペイン語も美しく、申し分はない。ではなぜなのだろうと思案の果てにたどり着いたのは、本作には日本人のタンゴ・アルバムにありがちなファンへのおもねりが一切ないということだった。

アストロリコに誘われて、ひょんなことからタンゴ歌手の道を歩み始めた Sayaca が、経験を重ねるにつれて目指すようになったのは、同邦の古くからのタンゴ・ファンの好みを勘案して唄うのではなく、生まれ故郷ブエノス・アイレスの悪条件の中で息づき

ながら現在進行形で進化を遂げている “いまのタンゴ” のインテルプレテ(表現者)になろうとしたのではなかったか。だとすれば、2002年から拠点をブエノス・アイレスに移したことにも納得がいくし、タンゴのいまを伝えようとする本作のアルバム・コンセプトも理解できる。

人はその青春時代に耳なじんだ音楽を一生引きずるものである。日本のタンゴ・ファンの多くは戦後間もなくのタンゴ・ブームの頃にタンゴに触れ、そのファンとなった人が多いと思う。バルチャウスキーが指摘しているように、彼らは「50年以上もタンゴをひたむきに愛し研究」するなかで、タンゴ道とでも呼ぶべき独特の美学ないしは価値観を持つにいたり、それを拠り所にタンゴを聴いてきたと言っても過言ではないだろう。ピアソラ以降のモダンなタンゴや歌のタンゴを敬遠しがちと言った日本のタンゴ・ファンの特性もそんなタンゴ道のなかで培われたものと言えよう。

タンゴに限らず、音楽は人それぞれが聴きたいものを聴きたいように聴けばいいことは言うまでもない。つまりは好き嫌いの問題である。したがって長年の習い性で、グアルディア・ビエハからせいぜい1950年代までの録音からお気に入りのタンゴだけを愛聴し続けることも可である。

だが、すでに書いたように、アルゼンチン・タンゴは政治経済や社会的な要因からくる様々な悪条件にめげそうになりながらも進化しつつあることも確かである。Sayacaのこのアルバムは、そのような現在進行形のタンゴの姿を身をもって伝えようとするものであり、それはSayacaのタンゴに対する情熱と愛の発露とも言えるだろう。

 

このアルバムは習い性でしかタンゴを聴かないファンには受け入れられないかもしれない。一方近年のピアソラ・ブームの中でタンゴのファンとなり、定評ある名演だけでなく、開かれた心で今のタンゴも聴いてみようとする人には愛着の持てる1枚となるに違いない。その意味で本作は、タンゴ・ファンを試すことになる手強いアルバムと言えるかもしれない。

 

なお、本作に収められた11曲のうち、2曲を除いて1940年代の作品である。この時代はオメロ・マンシやオメロ・エクスポシトといった新しい感性を持った作詞家たちが台頭して素晴らしい歌のタンゴを作った時であり、タンゴ自体が黄金期にあった。その頃を象徴する歌のタンゴの傑作に新しい息吹を吹き込んだ Sayacaのアルバムが、一人でも多くの方のお気に召し、愛聴盤となることを祈りたい。

 

2008年6月

 竹村 淳 (音楽ジャーナリスト)

Saia は東洋人であり、彼女のタンゴは静謐なのですが、

必要な時には個性的な力強さと共に劇的な展開を見せ、

その時にこそ、彼女の最高の持ち味を味わうことができます。

彼女がブエノスアイレスで長く暮らす決心をしたことは、

疑いも無く、彼女に必要な、この港町が持つ雰囲気を注ぎ込むことになるでしょう。

 

私は彼女を知っています。粘り強く、繊細な女性です。

 

このCDの選曲は非常に良く選ばれています。

古典的なものに加えて、多くの人々が知らない曲も素晴らしい選曲です

 

私がただ言いたいのは、彼女の歌がタンゴにとって十分な存在感を示しているということです。

 

彼女を聴かなくてはなりません。    

 

 

元ピアソラ夫人/国民的タンゴ歌手

アメリタ・バルタール

 

違いなくSayacaは、藤澤嵐子以来の日本が生んだ最高の、そして極めて個性的な歌い手である。

 

彼女は、タンゴに関する真摯な、そして永続的な研究が半世紀以上に亘って行われている、

日本の音楽的伝統の継承者であり、同時に革新の担い手である。

 

タンゴという音楽のジャンルが、アルゼンチン以外の国で、

最もよく演奏されるのが日本であることは、決して根拠の無いことではないのだ。

 

 

「エル・アランケ」コントラバス奏者・プロデューサー

イグナシオ・バルチャウスキー

 

 

SayacaのCDは、とても気に入りました。

 

多くのアルゼンチンの歌手達さえもが理解しえない、タンゴ特有の屈折感に、

彼女がどれだけ取り込んだかということに深く感動しました。

 

これは、知的な、そして繊細なCDです。

 

彼女は、タンゴと言う別の世界の、別の文化に、コネなしに才能のみで、誠実に浸かったのです。

 

 

タンゴ歌手

リディア・ボルダ

                                                                                                               

唄の上手さと洗練された技巧に加えて、Sayaca は言語の深い理解にまで及ぶ、

尊敬すべき態度でタンゴに向かい合っている。

 

このCDは一級品であると共に、私はこのCDが好きだ。

 

”Cada vez que me recuerdes” のヴァージョンに見られるように、

アーティストとしてのある種の危険を伴った冒険が、

結果的に貴重な宝物を発見したように思わせるからだ。

 

                   

バンドネオン奏者

                  パブロ・マイネッティ

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